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沖縄(うちな~)カルチャー

七夕(たなばた)                      

一般的に七夕(たなばた)とは、織姫と牽牛が1年に一度会うことが許された天の川伝説から、新暦7月7日に、願い事を書いた短冊や折り紙で作った月や星を、笹竹に飾り、星祭りを行っています。 
沖縄(ウチナー)では、旧暦の7月7日に、お墓の掃除をし、湯茶やお酒、花を献じて、線香をたき、先祖へお盆の案内を呼びかけます。そして、家の仏壇では、七夕からお盆まで、毎日お茶が備えられます。
七夕の日は、1年で最も日差しが強いといわれ、タナバタティーダ(七夕太陽)と呼び、着物や穀物などの虫干しに適しているといわれています。
また、お墓の修理や引っ越し、洗骨等を行う場合、日取りを間違ってしまうとフスク(不足)が出てしまうことがあり、日取り決めが面倒ですが、年に一度の七夕の日だけは、「ヒーナシ」といって、あれこれ気にせず、後世に関することを行える便利な日でもあります。

清明祭(シーミー)

清明祭のことを、沖縄では「ウシーミー」、または「シーミー」と呼ばれています。

沖縄では、1768年以降、年中行事になったと言われています。
旧暦の3月、清明の節に行う祖先供養の行事であり、清明祭(シーミー)は、神御清明(カミウシーミー)と清明祭(シーミー)に区別されます。
門中(ムンチュー)や、その一族の構成員が、費用を出し合って、宗家(ムートゥヤー)で料理を作り、サチヌユーの墓、ナカヌユーの墓、按司(アジ)墓、ノロ墓、タキ、イマメーの墓を含めて巡拝したことから始まります。
清明の入りの日には、神清明祭(カミウシーミー)が行われますが、時期的にも初夏で好天が続くことから、現在では、その一族が、行楽気分で集結する、年に一度のイベントになっています。
また、墓の前や宗家(ムートゥヤー)で行う直会(なおらい)は、親族の親睦を深めるだけでなく、その門中(ムンチュー)に関わる口承の歴史を伝授していくという、大きな役割を果たしています。
清明祭(シーミー)は、主としてトーシー墓を対象に行う墓前祭で、酒、果物、お菓子、重箱料理を備え、ウチカビ(神銭(カミジン)とも言い、あの世のお金)を焼きます。
清明の節に、村で日を決めて行うところや、仏前の前だけで清明祭(シーミー)を行う地方もあるようです。

十六日(ジュールクニチー)

    今年の2月18日(新暦)は、旧暦の一月十六日にあたり、沖縄(ウチナー)では十六日(ジュウールクニチー)と呼ばれる祭事が行われます。
  元旦の正月がイチミ(私達のように生きている者)のものなら、十六日はグソー(あの世)の正月といったところでしょうか・・・。

 
【由来は・・・】
  旧暦で、イチミの正月を祝った後、祖霊にも正月を迎えさせてあげようと、十六日に墓にご馳走や花・酒・御茶湯(ウチャトー)を供え、紙銭(カミジン)を焚き、焼香をしました。分家した身内が集い、三線で祖霊を慰めたことに始まりました。
  この一年間で不幸のあった家では、新仏(ミーサー)といって、戦前は回り灯籠(ミグィドゥールー)を吊していたこともありますが、中国では十五日の燈節に灯籠をかかげていたことが所以だといわれています。十六日は、家単位の祖先祭でありますが、宮古狩俣では、ご馳走を頭の上にのせた司を先頭に、婦人らはキセルを持ち、四ツ竹を鳴らし、歌いながら道行します。拝所では祈願の後、公民館で会食をする風習がありました。これは役人をもてなすために始まったといわれています。
  一月十六日は初閻魔(エンマ)、七月十六日は閻魔の大斎日です。斎日とは祖先をまつる精進日、仏教では祭日とすることも多いです。この日は、地獄の釜の蓋が開く日といわれ、地獄の獄卒は罪人への責めを休業するとされています。
 昔は藪入りといって、使用人や嫁は休暇を取って親を見舞い、祖先をまつる日でもありました。

 
【現在では・・・】
  十六日は、グソー(あの世)の正月と呼ばれ、その前の一年間に不幸のあった家をミーサー(新仏)は、お墓へ出向いてお祭りをしますが、清明祭が盛んな首里や那覇などでは、普段は大きくしません。しかし、山原や先島では、むしろ清明祭より盛んで、必ず墓参りをする風習が残っています。一説によれば、清明祭が盛んに行われる以前からあった祭が、この十六日ではないかといわれています。
  那覇港の入口にある三重城では、先島出身の人たちが集まり、故郷のお墓へウートゥシー(遙拝)が行われ、終日、線香の煙が絶えません。本来、三重城は、港に入ってこようとする海賊を撃退するための防御施設で、拝みをする場所ではありませんが、ここで船の出入りに際して送り迎えが行われていたこともあり、いつしか潮川渡り(スーカーワタイ=島から離れて亡くなること)への遙拝が崎樋川の浜から移り、今では先島出身者たちによる十六日の行事が風物詩となっています。
  
【沖縄以外の地域では・・・】
  奄美大島では祖先正月、小豆島では仏の年越、宮城では仏の日と言って初墓参りし、酒盛りをします。山口では斎の日、広島では仏の 口明け、新潟では後生初めといい、仏壇に供え物をします。また、中国では寺参りをします。

  

冬至

12月22日は冬至です。
  この頃になると、大陸からの強い季節風が吹き、寒波が数日続きます・・これを沖縄では、トゥンジー・ビーサー(冬至寒)と呼んでいます。
  冬至の日も沖縄では、トゥンジー・ジューシー(冬至雑炊)を仏壇に備え、迎え来る冬の寒さへの活力源として、家族でトゥンジー・ジューシーを食す・・慣わしがあります。ジューシー(雑炊)と呼んでいますが、豚肉・椎茸・昆布・人参・里芋・かまぼこ等を混ぜた炊き込みご飯のことです。
  このトゥンジー・ジューシーを食べたら、正月を迎えたとも同じであるといわれ、「冬至正月」とも呼ばれています。
かつて、沖縄が「琉球」と呼ばれた独立国の王府時代、いわゆる琉球王朝の頃、公の行事として、元旦と同じように、この慣わしを重視していたそうです。
  古代中国では、冬至は太陽運行の出発点として、中国暦の起点としていたことから、年の起点としての正月行事としていた風習があったことが所以だといわれています。中国の唐時代、元旦・冬至は7日間の休暇があり、僧家も俗家も祝膳を設け、正月には厄払いに赤豆を食していました。「冬至前夜は慎んで眠らず、当日は元旦と同じように賀詞を述べ、華やかに祝った」といいます。
  冬至は、1年で昼が一番短いく、太陽の光が弱くなる・・よって、その回生を願う祭事だったとのことです。現代は、全国的に「冬至粥」として、小豆粥を食べると風邪をひかないと言われ、厄払いになるとされていますが、小豆粥の習慣も中国から影響かと思われます。
  太陽が衰える冬至は、大切な節目として、中国本土・沖縄も一陽来復(いちようらいふく)を願っています。